「 ぼ く の 断 片 」 :::090128:::



 いつの間にか、成人式は終わっていた。起きたのは皮肉にもちょうど、閉会時間ぴったりだった。ああ、ぼくはついに社会に未成人という肩書きを当てはめられてしまった。ぴくり、と眉間に皺が寄った。こうやって、式を無断欠席した人間の名前は控えられる。そして徹底的に履歴を調べ上げられる。未成人ブラックリストに掲載され、全国の会社にデータが送られるのだ。「貴方はまだ成人していないようだが?」再度式に出席しようものなら後輩達から後ろ指を刺されてしまう。浮いたスーツは偽善成人者の空気を濁す。恩師からは大目玉を喰らう。「思い出成人式」?なんて糞喰らえ。ぼくは小学生みたく只ねぼすけした訳ではない。昨夜は大人と呼ばれる人間の塊に潜む悪魔と出逢えた。つまり、ぼくはぼくでなくなり大人よりずっと先を見通した世界に彷徨う事が出来ていたのだ。


 じぶんの感触を確かめる。呼吸器官は通常通り規則的な生命活動を続けている。ぼくを続けている。ぼく自身は最近大学を辞めたばかりだというのに。己の人生において深く関係する組織を遮断させた。辞める前はまだ存在していた。夢も希望も嫌悪も含みながら毎日挑んでいた。見えないなにかに立ち向かって、必死にそれに勝とうとした。葛藤は時間を無常に消していった。ヤメルマエハマダ認識サレテイタ。じぶんの言葉を空気に乗せて伝えると身体に重低音が響いていた。雑音と共鳴した。痛い。痛い。イタイ。なにかが弾けた。頭の中が空洞で、ただの微生物のかたまりがくっついているだけの塵になった、気がした。自己も他者もなにもかも全てが無意味に思えた、気がした。イ。過去は常に側頭葉に付着している。ああまたはじまった。はやく失せろ紛らわせ。そこで唯一の現実は快楽。

溺れた。
塗り替えられた感情は醜く咲いた。
ぼくは半身の悪魔を召喚していた。
エーテルだけが昨夜へのフラッシュバックを成功させた。




***




 人間が人間でなくなる時が有る。思考が感情に支配されている時や、他の人間によって話題として空間で共有されている時などだ。主に前者であれば身体が極限状態に晒されている事が多く、興奮・激怒・悲哀・発狂がそれに当たる。性行為もその内に含まれる。それらの感情・衝動は何の脈略も無く突然訪れるから厄介だった。ぼくはその日例によってムシャクシャしていた。深夜に近所を徘徊しており、そんな中で、良いオモチャを見つけた。
 まるでぼくみたいに転がっていたから、連れて帰って犯したのだ。獲物を安全な所で喰らう動物みたいだ、という自覚をした上での行動だった。




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 逃げた。ぼくというレッテルが剥がれたのかもしれない。否、剥がされたのだ。それも、ぼく自身に。ぼくが独り歩きした。それを止められなかった。誰の責任でもない。歪みは小さな所から生まれていた。サインは見過ごされ既に色褪せていた。「大学を辞めたい。」支配権は手元から離れて見えない所で漂っていた。
 ぼくとして名前を呼ばれている人間はぼくではない。呼んだ人間の脳内で勝手に作り上げられた産物のマリオネットだ。だがしかし含有物としてぼくの一部も組み込まれている。奪われている。許した訳でもないのに勝手に挿入されている。不同意で不一致の結合。相性は全て最悪。ぼくはダッチワイフか。「今までしてやった事が台無しじゃないか。」おまえの中だけで判断するな分析するな。スイーツでも喰らって糞して寝てろ。栄養分は自然発生の場合のみ正直者だ。眼差す主体同士の沈黙。だったらいっそ限りなく原子とシンクロするアメーバになった方が正直に近い。視線の奥での感情変化。そうなればこんなに面倒臭い思考を停止出来るのに。がつん、鈍い音が響いた。遺伝子の発生源を殴り家を飛び出た。ほら、拳が有るからこんなことになったんじゃないか。




***




 裸の女は隣で傾いていた。とろんとした表情と肌の艶はまるで死んでいるとは思えない程だった。年齢とそぐわない幼い顔に化粧は映えていた。気持ち空気に酸味を感じるが、恐怖は無かった。指先に触れると冷たくて、時が止まっていることをダイレクトに実感させられる。寒そうだ。目まぐるしい快楽を得た本能の疼きは収まっていた。死体なら不同意も何もない。感情は月の入りを静かに待つ水面のように落ち着いていた。
 無とはどんな気持ちなのだ。寧ろ気持ちすら抱かないのが無なのか。無の世界とは何だ。おまえは屍としてでも確かにここにいるのに。いまどんな世界を視ているのだ。瞳は何を映しているのだ。ふと、瞼を抉じ開けた。指を目尻のほうから奥まで突っ込んだ。くちゅり。それはぼくから見て左側だった。掻き回す。ねらねらした玉を摘む。妖艶に光る。粘液が滴る。口へと運ぶ。元々、そこへ吸い込まれるべきだったかのように。
 眼球はちゅるん、と飲み込めた。黒目が軽く引っかかる喉越しを、心地良いと感じた。だが少し鉄臭かった。この女が経験してきた視覚を支配した、と錯覚する腹持ちになった。飲み下した眼球が種になってぼくを支配したら面白いのに、と非現実な想像が暴走した。いつまでもぼくの中に潜み続けていればいいのに。成人式に見た景色はさぞ輝かしかったのだろう。久し振りの再会での戦友の変化は刺激に変わったのだろうか。ああ、そうなればこいつは社会のブラックリストには乗っていないのだな。舌に絡んだ結膜が、歯痒く疼いた。




 アメーバは食べることと認識することの間に区別はない。すべては本能の赴くまま。ぼくは人間ではなくアメーバに生まれたかった。